【この記事の信頼性・筆者紹介】
この記事を書いている私は某大手企業の人事管理職をしている匿名係長です。
先日、新入社員研修が終わり、マナー講師の先生と話す機会がありました。
その際、先生から言われた意外な言葉があり、衝撃を受けました。
最近は、マナー講習は必要ないって言われます。
変なマナーが身に付くから困る。研修やっても、全然身に付いていないし効果ない。
OJTで十分だよ…なんて言われるんです。
私は人事担当者として、新入社員にはマナー研修は必須!
かならず実施するべきだ!と考えていました。
今までそんなことを考えたこともありませんでしたので……
今回はマナー講師は害悪なのか?というテーマで考えをまとめていきます。
それでは行きましょう。
マナー講師は害悪なのか?
結論、マナー講師は害悪ではありません。
マナーの基本があるからこそ、応用できると私は考えています。
マナーとは?
そもそも、マナーとは一度整理をしてみます。
マナーとは、人と人との関わりで当然その場面でしかるべきとされる行儀・作法のことを指す
Wikipediaより引用
つまり、「当然その場でしかるべき」!
と両者の価値観が揃っていないと、マナー違反となります。
マナーは時代によって変化している
時代の変化は激しいので、マナーも当然変化しています。
ビジネスでいえば、在宅勤務が進みました。
進んだことにより、様々な変化が起こっています。
- ビデオ会議により名刺交換しなくなった
- チャットによる会話で、メールの導入文を書かなくなった
- PCログによる勤務管理で、始業、終業の挨拶をしなくなった
私からすると、考えられないほど仕事のやり方が変わりました。
マナーを押し付ける講師は害悪と言われる可能性がある
マナー講師は基本的にフリーランスが多いです。
ご自身が勤務していたオフィスとは激変しており、以前のマナーを押し付けているのではないでしょうか。
ゆえに、「害悪」と言われるのだと推測します。
時代に合ったマナーを考えていく必要あり
マナー講師の先生方も十分に自己研鑽、勉強されてのことだと思います。
マナーのプロが「害悪」と言われるのですから……
私たちサラリーマンはより一層、マナーについて考えていく必要があります。
当たり前のマナーを見直してみる
私が勤務する会社の一例として、下記の3つのマナーがあります。
- 会議では必ず紙を印刷する
- WEB会議では原則顔出しをする
- 上司には役職名禁止で「〇〇さん」と言う
1つずつ、マナーについて考えていきます。
会議では必ず紙を印刷する
DX、ペーパーレスを推進しているわが社なのですが、会議では必ず紙を印刷します。
理由は、紙の方が読みやすいから。
若手からすると、理解できないと思います。
アラフォーの私ですら、少し違和感を持っています。
WEB会議では原則顔出しをする
WEB会議で顔出しをしていないと、上司の機嫌が悪くなります。
お年頃の若い女性は、在宅勤務の時くらい化粧をしたくないでしょう。
私はそう思いますが、価値観が違うのでしょう。
上司には役職名禁止で「〇〇さん」と言う
社内一体感を出すために、さん付け運動をしています。
一方で、A部長には、「部長」と言わないと、機嫌が悪くなるようなのでそう言おうね。
なんて、社内のマニュアルなどが存在します。
マナーは相手次第で変化する可能性
- 会議では必ず紙を印刷する
- WEB会議では原則顔出しをする
- 上司には役職名禁止で「〇〇さん」と言う
上記のような社内ルールは、相手次第でマナーが変化します。
会議では、紙が必要な人とPDFでOKな人で事前に聞いておく。
WEB会議では、事前に「健康状態の確認をしたいから、明日は顔出ししよう」などと目的を伝える。
「〇〇さん」と言ってほしくない人がいるのであれば、会社から再度周知して是正を図る。
もはや、マナーというよりも「気遣い、気配り」の問題です。
若い人とは価値観が違うと切り捨てるのはマズイ
若い人とは価値観が違うと切り捨てるのは良くありません。
具体的には下記のようなことが起こります。
- パワハラにつながる
- 退職が増える
- 自分自身も追い込まれる
パワハラにつながる
若者は成長させるために、突き放したほうが良い。
と考えている方も多いはず。
一方で、今の若手はこのような対応をするとパワハラと感じる人が多いようです。
もちろん、人によるということもありますが、最近の若者の傾向はすぐにパワハラと言うようですね。
離職が増える
若者の価値観に、こちらから合わせて行かなければ、すぐに退職を考えてしまいます。
すべてを受け入れる必要はないとは思いますが、退職が増えると自分自身の首を絞めることにもなります。
自分自身も追い込まれる
パワハラと言われ、後輩が退職すると、自分自身の進退にも影響があるでしょう。
価値観が異なるからこそ、お互いに理解しあえず、問題が複雑化することも考えられます。
明日は我が身、日々自己研鑽しアップデートを
マナー講師は害悪と言われる背景には、時代の変化があります。
時代の変化は、私たちビジネスパーソンにも起こりうることです。
マナー講師は害悪と言う前に、自分自身も我が身であり、日々自己研鑽をしてアップデートをしていく必要があると思います。
さいごに
今回お話しした、マナー講師の方は害悪ではなく、非常に頼りにしている人です。
そのマナー講師の先生は、下記の本を新入社員に配布しています。
この本に書かれているように、こういうさりげない気遣いが出来れば、仕事も人間関係もうまくいくと心からそう思います。
私はサラリーマンがキャリアアップできるように様々な記事を書いています。
コメント
①会議では、紙が必要な人とPDFでOKな人で事前に聞いておく。
⇨ 紙でないとダメな人間が自分で印刷すれば済む話。それが一番業務効率が高い。会議ごとに毎回初顔合わせの人に紙の要否を問い合わせしなければならないのは会社から見て時間の浪費。会社全体で大きな時間ロス。まさに害悪。
②WEB会議では、事前に「健康状態の確認をしたいから、明日は顔出ししよう」などと目的を伝える。
⇨ 取って付けた理由であることが見え見えで、理由が嘘っぽい。そんな嘘はすぐ見抜かれる。却って不信感や反感を招くことになろう。
③「〇〇さん」と言ってほしくない人がいるのであれば、会社から再度周知して是正を図る。
⇨役職名で呼ばれないと不機嫌になる人間は、仕事の内容のより肩書きに拘るので、ダイナミックな組織改変の邪魔になる。会社は、さん付けで呼ばれることを抵抗を感じる上司には根本的に考えを改めるよう徹底指導すべき。
コメントありがとうございます。
私よりも的確な解説をいただきありがとうございます。
特にコメント頂きました
②WEB会議では、事前に「健康状態の確認をしたいから、明日は顔出ししよう」などと目的を伝える。
⇨ 取って付けた理由であることが見え見えで、理由が嘘っぽい。そんな嘘はすぐ見抜かれる。却って不信感や反感を招くことになろう。
は、おっしゃる通りですね。
カメラオンにする理由を的確に説明するのは難しいですね・・・勉強になりました。
コメント本当にありがとうございます。
「両者の価値観が揃っていないと、マナー違反」という所論について、人間の価値観を揃えることは困難ですから、オーソドックスな礼法慣習に照らしてマナー違反かどうかを判断するのが妥当でしょう。そうであれば、例えば「WEB会議では原則顔出し」についてはそもそも「オーソドックスな礼法慣習」が定着する程WEB会議の歴史は古くないので顔を出そうが出すまいがマナー違反にはならないことになります。
「上司には役職名禁止で「〇〇さん」と言う」についても、やはり「苗字+役職」という呼び方として役職を敬称として使うことを誤りとする共通認識は存在しませんし、どちらでも可とするのが妥当でしょう。
さて、マナー講師は害悪かどうかですが、少なくとも私が出会ったマナー講師は尽く害悪でしかありませんでした。
まず、私が出会ったマナー講師は口を揃え、「メラビアンの法則」を引用し、人の印象の半分以上は外見で決まると言います。
しかし、広 島 大 学の廣 兼 孝 信 氏、吉 田 寿 夫氏の研究によると、「一 般に印象形成における手がか りとして よく用 いられて いる顔,声(話 し方 も含 む),体格,服 装の4つ を取 り上 げ,こ れ らの手がかりが実際の印象形成 においてそれぞれ どの程度優位に働 いてい るのか,お よび,推 測 され るパ ーソナ リテ ィ特 性によって手がか りの優位 性の様相が どの ように異なって いるのか」という実験をした結果、「一 般 に,声 の手がか りが最 も優位であ り,顔 と服装の手がか りがそれ に続 き,体 格 の手がか りの優位性が最 も低かった。この ように,わ れわれが初対面 の他者のパーソナ リティについての印象を形成す る場合,声 の質や話 し方な どの聴覚的な手がか りがかな り優位 に働 いているもの と考え られ る。」と結論付けています(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjesp1971/23/2/23_2_117/_pdf 廣 兼 孝 信 、吉 田 寿 夫「印 象 形 成 に お け る手 が か りの優 位 性 に関 す る研 究」)。この広 島 大 学の廣 兼 孝 信氏、 吉 田 寿 夫氏の研究は1984年2月に発行された『実験社会心理学研究 = The Japanese journal of experimental social psychology 第23巻第2号』p117~124に掲載されています(https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I2650351#bib)。
そして、私が最初にマナーに関するセミナーをマナー講師を名乗る人物から受けたのは2010年のことです。
つまり、1984年に視覚情報が人に与える印象の半分以上を占めるというメラビアンの法則に反する前記廣 兼 孝 信 氏。吉 田 寿 夫氏の研究結果が出ているにも関わらず、メラビアンの法則のみを唯一のもののごとく言っているのです。なお、この「人の印象の半分以上が外観で決まる」という妄言は令和6年7月17日に職場で視聴した研修動画でも言っていました。
このような場合、まともなマナー講師ならば、「メラビアンの法則」と廣 兼 孝 信 氏、吉 田 寿 夫氏の研究の両論を併記し、「見た目、声のトーン等の聴覚情報どちらにも気を配りたいですね。」と言うのが妥当でしょう。考えてみれば外観を気を付けた処でせいぜいマイナスを0にするのがせきのやまですからね。他人の外観を見て「うわ、場違いなけばい恰好した奴来たよ。あいつはないな。」と思うことはあっても、外観で「お、良い感じ。」、「良い人そう。」と思うことはないのではないでしょうか。
また、某ホテルのホテルマンがマナーセミナーを開いたことがありますが、その際「お客様がお帰りになられる際は」等と二重敬語を連発し、マナーの基本の一つである敬語の基本、二重敬語の禁止すら理解できていないことに呆れ果て、以後中身は全く入ってきませんでした。
また、前記令和6年7月17日に職場で視聴した研修動画では「~いたしましょう。」と、視聴者を主語とする動作を謙譲語とするという無礼千万な暴挙に出ています。謙譲語は御存じの通り主語を落として客体に敬意を払うもので、古典の世界はいざ知らず現在は自己またはその身内を主語とする際に使い、他者への敬意を現す目的で使います。そうであれば、「~いたしましょう。」の意味する処は「我が社(法人向けのマナー研修動画を作成している会社が当該動画を作成しました。)はお前達より偉いんだ。」ということになります。基本的に社会は互いに相手を上として相互に敬意を払うことで成立しています。その基本を破るということは当該会社が視聴者に対し敬意を払う意思がないこと、端的言えば当該会社が視聴者、更に顧客たる法人を侮っていることになります。もしかかる意図がないと当該会社が弁明するならばそれは当該会社がビジネスマナー研修動画の会社を名乗りながら中学生でも知っている敬語の基本すら理解していないことになります。
このように、少なくとも私が出会ったマナー講師は尽く害悪にしかならない無能ばかりでした。
「変なマナーが身に付くから困る」と言っている人は恐らく私が出会ったのと似たようなマナー講師に遭遇してばかりだったのではないでしょうか。
山城守様
コメントありがとうございます。
マナー講師からは、メラビアンの法則以外聞いたことはありませんでした。
おっしゃる通り、広島大学の研究の両論を参考に「見た目、声のトーン等の聴覚情報どちらにも気を配りたいですね。」と言うのが妥当ですね。
大変勉強になりました。
ありがとうございました。
匿名係長
しかし、一番マナー講師にカチンときたのは研修動画内で「~いたしましょう。」と言ったことですね。前記の通り謙譲語は主語を落として客体を上げるもので、他者を主語として使うことは他者が内部の人間で、外部の人への敬意を優先しなければならない事情(「○○は只今席を外しております。」等)を除けばあり得ないことで、これは「わが社の方がお前達よりも偉いんだ。」と言っているに等しい訳です。そして、社会は互いに相手を上として扱い、相互に敬意を払うことで成立します。その建前を破るということはその会社が視聴者に対し敬意を払う意思がないこと、端的言えば当該会社が視聴者、更に顧客たる法人を侮っていることになります。こんな中学生でも知っている国語を大の大人が知らないはずありませんからね。
あのゴミを当該会社は幾らで売り付けたのでしょうか。
私が職員課長なら間違いなくこんなゴミをつかまされたら発狂していると思います。
ちなみにその研修動画の感想文を書くことになっていたのですが、お世辞にもためになる動画でなかったのでかなり辛辣な感想文になっています。
調べたら2020年7月5日に「「ZOOMの上座」を馬鹿にしてる場合じゃない。」という記事(https://ryosuke-chida.com/3472)を書いている人がいますね。その人は「こういった
日本的な慣習を
どうでもいいと
切り捨てること自体が
センスの無い考え方だと
僕は思ってしまいましたね。」と仰っていました。
しかし、そもそも席次というものは「煩わしいことは下位の人間がする。だから下位の者程出口に近い場所に座る。」という古からの考え方に基づいて決められています。zoomでこの古からの理論を持ち込むのは不可能です。
何しろどこに画面を配置しようが、雑務を熟す云々には全く関係ない訳ですから。
つまり、マナーの根幹である「その行為が敬意(又は侮辱)を現す動作である。」という共通認識を生むべき「歴史の重み」も何もない「zoomの上座」を云々する処にその人の誤謬があります。